美慈力(びじから)スタイリスト profile
初めまして、美慈力スタイリストのさいとう ひろみ(齋藤 博美)です
年間3,000人以上のお客様をカットする美容師ならではの技術と
子育て、介護経験のある美容師です
顔面神経マヒにより
顔半分が動かなくなりました
好奇心でのぞかれる隔離病棟
わたしは自分が嫌いでした
美容師になってからわずかに残るマヒなど
忘れてしまうほど鏡の前に立ち
笑う自分を見ることができるようになりました
1972年生まれ
神奈川県横浜市在住
神奈川県立上矢部高等学校卒業
横浜育成会技術専門学校卒業
保有資格
1995:美容師
2004:管理美容師
2007:ヘルパー2級(介護職員初任者研修)
2001:1級着付け講師(経営師範科)
2012:福祉理美容士(NPO日本理美容福祉協会)
2015:「横浜市訪問理美容」登録事業者
2017:ハンドトリートメント
プライベートストーリー
小学校6年生の夏、叔母さんになりました
私の誕生日に16歳で「探さないでください」と置き手紙を残し
家出をした姉が後に子供を授かりました
とても可愛らしい女の子♪家族皆んなのアイドルで年の離れた妹
いや、チーママの様でした(古っ)
中学1年の夏休みに観た朝焼け
トイレにも一人で行けない私を寝かし付けるために一緒に横になる母
手足を幼心に紐やテープを貼っていましたが自営業の父の仕事を手伝うために
居なくなる…
横浜市営バスの最終は行き先が赤い文字に変わります
赤い文字を見るたびに世界中の人が眠りについてしまうのではないかと
夏休みの眠れぬ夜、不安と恐怖を覚えていました
23時…25時…オバケも寝てしまう丑三時…
結局朝まで眠ることはできませんでしたが
カーテン越しからみえる青.赤.紫色?と映り変わってゆく朝焼け
「よし、夏休みの自由課題はこれだ!」
もう怖いこともなく外に飛び出していました
絵を描くことが楽しいと感じたのはこの時が初めてだったかもしれません
中学1年の冬、父親が不慮の死を選び、居なくなりました
どちらかと言うと怖いお父さん(ドキドキ)
「お父さん100円頂戴!」と勇気を出して言って
近所の駄菓子屋に行った幼少期
数ヶ月前に私の身体も大人の仲間入りを迎え
草創期の回転寿司でお祝いしてもらった事を思い出します
涙は多く流れず、父親の死を受け入れることが
出来ているかいないのかも感じる余裕がありませんでした
それは大好きな母が親戚に苛まれている姿をみて
守りたいという気持ちから母から離れることができなかったから
浜っ子の父の言葉をかりるとすれば「金魚のフン」です(想像してみてね)
父親の夢をみたのは今までに3回程でしょうか(少ないですね)
初めてみた夢では「立派な大人になれよ」と言われました
立派な大人になることが私の親孝行と思っています(まだまだです)
高校1年の夏休み、アルバイトのかけもち
アルバイトのかけもちしすぎたのでしょうか?
顔面神経マヒにより、顔半分が動かなくなりました
好奇心でのぞかれる隔離病棟
わたしは自分が嫌いでした
美容師になってからわずかに残るマヒなど
忘れてしまうほど鏡の前に立ち
笑う自分を見ることができるようになりました
後に聞いた話によると
耳に入ったウイルスが脳に感染するおそれがあったようです
半分無力に垂れ下がった顔の写真は、医学生の教科書に載っているのかもしれません
高校1年冬 居なくなりました
母子家庭の生活のも慣れ、昼夜と働く母と兄の三人暮らし
学校から帰ると夕飯が…
朝起きても居ない…
いつの間にか兄と二人暮らしになりました
25歳冬、出産と離婚
前の年に流産を経験した後、悪阻の強い妊娠初期を乗り越え
ギリギリまで仕事をさせてもらっていた事もあり
予定日より早く安産で男の子を出産しました
が、連絡が取れない
この時はまだ何の不安もいだきませんでした
1歳の誕生日を待たずに離婚
父親の居ない子にしてしまった事を泣き叫びながら詫び
家族連れの親子を見ると心が痛みました
陸也がこの世に生まれてこなかったら
私はこの世に居なかったであろう
そして一時離れていった「実母」を
ひとりぼっちにする事がどうしてもできない
私は最愛の我が子が居てくれたから美容師として頑張って生きてきました
頑張る事が出来たのは姉兄はじめ「実母」がいてくれたから